[必読]伊藤幸弘・不登校ひきこもり解決
不登校の子を持つ親御さんは、こういう言い方をしては語弊があるかもしれませんが、学校の先生に何かを期待すると、結果としてその期待を裏切られてしまうことになるかもしれません。
学校の先生はとてもお忙しくしていらっしゃいます。これには例外などありません。
ひとりで多数の子どもの面倒を見ることほどたいへんなことはありません。だからこそ、毎日超多忙の日々を送っています。
ただ、これはあくまでも、何の問題もない子どもたちだけの場合の話です。担任の先生からすると、これでさらに不登校などの悩みを抱える子どもの面倒まで見なければならないとなると、
ですから、中には拒否反応を示す先生も実際にいらっしゃいます。
公立の学校の場合、学校側が教師の能力や器量を査定するようなことは考えられませんので、どういう規準でクラス分けをしているのかはくわしく知りませんが、不登校をはじめとして、不安を抱える子どもの担任になってしまうのが、残念ながらだれがどう見ても器量ある教師ではなかったというシーンを私は何度も目にしています。
これはあくまでも個人的な感想ですが、たいていそういうシーンでは、だいたい先生側がご家庭に向けてはっきりと「手に負えない」というようなことを言ってしまうのです。
もちろん、人間にはそれ相応の器量というものが備わっていますし、学校の先生だって人間なのですから、手に負えないものは仕方ないという考え方ができないわけではありません。
そもそも、学校の教師になる際に、不登校その他の問題に関して認知する必要がないわけではないとは言っても、おそらく第二義的な扱いになることは間違いないでしょう。
ですから、器量が小さい先生が担任になってしまうと、問題がある児童・生徒は残念ながらいわゆる「特殊学級」に編入するように強く勧めます。
もちろんそういう教師がすべてでないのも明らかです。ただ、器量が大きいかどうかは、あくまでも保護者側から見た印象にしかすぎず、それを学校側が査定しているわけではないので、いくら「あの先生に担任を受け持ってほしい」と申し出たところで、却下されてしまうことがほとんどなのです。
運よく器量が大きい先生に担任を受け持ってもらった場合、不登校が改善することもあります。
みなと一緒に授業を受けるところまでいかなくても、保健室登校や放課後登校までこぎつけてくれる教師もいます。しかし、残念ながらそういう教師に担任を受け持ってもらえるかどうかは、
ということになってしまいます。
教師も不登校の対応を勉強しなければならない
不登校児は少し前のデータで5万人近くいるという現状がありますが、稀であることは変わりありません。
ですが決して少なくは無いので不登校児の対応と言うものをしっかりと勉強しておく必要はあります。特に義務教育の段階での不登校児を「手におえない」という事で諦めているのでは
教師は生徒に勉強を教える事が仕事です。不登校児に対して、それが出来てないという事は仕事が出来ていないという事なのです。
諦めている教師など、職務放棄とも言えるという事を自覚する必要があります。もちろん、教師の力だけで不登校が無くなるという簡単な問題ではない事は事実ですが
不登校になる理由も千差万別ですし、性格によっても対処の仕方も異なるはずですが、不登校が無くなる最大の可能性を持つ方法を模索していく必要があります。
いろいろな問題が起こりうる学校では、不登校と言う問題は数あるうちの一つかもしれませんが、教師なら不登校児の適切な対応は必ず身に着けておくべき必須項目です。
ただ、いち教師にとってはあくまでも稀に起こる出来事で、いろんなタイプの不登校児がいるなか、どのような方法でこの不登校児を学校に復帰できるように促していけば良いのか?
不登校児という問題を数多く経験しなければ適切な対応をすることは難しいのです。数多くの不登校の事例を知り、それぞれ解決した方法を知っていく事が教師が出来る不登校に対する対応を学ぶ唯一の方法だと思います。
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教師が不登校の原因をどうとらえるか
不登校は、教育現場における最大の難問であるといっても過言ではありません。その最大難問に直面しなければならないのが先生、つまり「教師」ということになります。
近年「教師のあり方」についていろいろと言われるようになってきてしまいましたが、しかし、多くの先生は懸命に生徒の力になろうと努力しています。
ただ、教師という立場上、不登校の原因について親御さんから詰問されることもあるとは思いますが、残念ながら先生から見ても、
先生が不登校の原因がわからないからといって、頭ごなしに先生を攻撃する親御さんも中にはいます。
しかし、先生に不登校の原因が理解できるくらいなら、親だってその原因をおそらく把握しているはずでしょうし、また、不登校になんてなることはなかったはずです。
もちろん、ここでは先生の肩をもつためにいろいろ書いているわけではありませんので、大切なことは、「この先」のことです。
教師という立場からすれば、自分の受け持ちの生徒が不登校になってしまった以上、これを何とか解決しなければならないわけですが、解決のためには、その原因が何かを徹底的に追及しなければならないことになります。
不登校の生徒の友人関係から事情聴取を行うことも必要ですし、何度となく家庭訪問しなければならないということにもなるでしょう。
そして、教育のプロフェッショナルである教師は、原因を突き止めるか、あるいは原因となっているかもしれない事象をイメージするところまではきっと辿り着くはずです。
ただ、多くの場合――というとさすがに言い過ぎかもしれませんが、中には、
不登校の生徒を守ることはできなかったかもしれませんが、しかし元気に登校している生徒も守らなければならないのが先生の役目であり、そのあたりの利害関係が、先生にとって非常に難しい部分なのです。
自分のお子さんが不登校になってしまった以上、先生に責任転嫁したくなる気持ちはよくわかりますが、しかし、そういう事情もある以上、
であると言わなければならないかもしれません。
これをいくら追求したところで、結論が出るわけではなく、事態はさらに悪い方向に転がってしまう可能性もあります。
お医者さんのように、薬を出して経過観察しながら改善するという性質の問題ではないのが不登校です。
だれも解決のすべを知らないのが不登校なのです。それだけに、教師として重要なことは、いかにして多くの人を納得させる発言ができるか、ということです。
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養護教諭による不登校児童の対応
不登校の問題は、教育現場における非常に大きな問題として、教育関係者ばかりではなく、もはや我が国の社会問題として注目しなければならない事案であるという印象があります。
しかしやはり教育現場での負担は非常に大きなものになることは間違いありません。
しかし、おそらく今後の教育現場は、ほぼ例外なく不登校とかかわりながら進化していく必要があるのではないでしょうか。近年そのくらい、学校環境、家庭環境は複雑化してきているのです。
さて、一般的には、不登校の児童への対応では、やはり「担任の先生」がメインとなって行うことになると思います。
しかし担任教諭ひとりではどうにもならないというときには、当然これをサポートする教諭とともに、対応にあたることになるはずです。
近年の学校では、いろいろな問題に対応する
ですが、そういうスタイルが確立していない学校では、保健室などに常駐する「養護教諭」がこれに対応するケースが非常に多いです。
そもそも、不登校に悩む児童の受け口として、「保健室登校」なるシステムを導入している学校は少なくありません。
担任の先生ももちろん児童のこころのケアのマニュアルが頭に入っているとはいえ、やはりほかの児童のケアをおろそかにするわけにはいきません。
その意味では、同じ「プロフェッショナル」ではあっても、児童のこころや身体のケアに関しては「専門家」である養護教諭のバックアップというのは、
いくら不登校の状況に陥ってしまったからといって、やはりだれかに救いの手を差し伸べてほしいと本心では考えていることは間違いありません。
本人にその認識がなかったとしても、こころの深層の部分では、そういった気持ちが皆無である児童などあり得ません。
そんなときに、ある意味自分と専門的にかかわってくれる養護教諭がそんな児童たちのこころのよりどころとなったところで、なんら不思議はありません。
ただ、近年学校によっては、あまりにも保健室登校を希望する児童が増えすぎてしまっているという問題も新たに浮上しているのです。
確かに、正規の教室で日々がんばっている児童からすると、その児童が「特別扱い」を受けているような印象を覚えてしまうのは、ある意味仕方のないところでしょう。
今後はそのあたりのケアをどのようにしていくのか、というところも新たな問題となっていきそうです。
不登校生徒への高校での対応
中学生や小学生だけではなく、高校生の不登校という現象も当然あります。
というよりも、かつては経済的、あるいは身体的な理由を除けば、それほど小学校や中学校での不登校は(件数が少なかったために)問題視されておらず、むしろ高校生の不登校のほうが大きな問題とされていました。
高校は、小学校や中学校とちがって
という点で、学校の存在意義からして大きく異なるというのが、不登校を語る上での、まずは大前提となります。
はっきり言って、高校生の場合、
という考え方の学校も少なくありません。もちろん、小学校や中学校と同じように、不登校について親身になって一緒に悩んでくれる学校、もしくは先生もいらっしゃることは間違いありません。
しかし高校の意義というのは、「義務ではないが、より高度な内容の知識や技能を身に着けたい人だけが通うことができる学校」です。
いかなる理由があったとしても、不登校にはあまり干渉しないという考え方も十分成り立つのです。
しかしだからといって、学校の考え方ですべてが決まるというわけでもありません。
たとえば、それまで学校を休むことなどほとんどなく、明るく、真面目に勉学に励んでいる生徒が、ある日突然学校に来なくなってしまったということにもなれば、それは学校側だって、「高校は義務教育ではないのだから、来たくないならそれは仕方がない」などと冷たい対応をすることはないでしょう。
高校の方針や意義といった公文書的な何かよりも、人間として
となるのが普通です。その意味では、「高校に通ってより高度な学習をしたい」と考える生徒が突然不登校になってしまったのであれば、どんなに放任主義の学校であっても、何らかの対応はほどこすことになるというのが普通です。
とはいえ、何度も繰り返しになりますが、高校の場合、小学校や中学校のように「どうしても学校に来て勉強しなさい」という場所ではないため、不登校の結果出席日数が足りない、単位が足りないなどという事態になってしまったとしても、救いの手が差し伸べられることはほぼないと考えるべきでしょう。
もちろんこれは、「何も対応しない」ということではありません。ただ、高校という教育システム上、対応はするけれども、その学校で決められた単位取得のルールは大前提として「生きる」と考えるべきです。
その意味では、高校というのは甘えが一切許されない場所であると考えるべきでしょう。